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【転職したら無職になった件】転職成功からさらに希望の未来へ!?

low-angle photography of man in the middle of buidligns

「大手の企業だし、安定しているから将来は間違いない!でもこのもやもやは・・・?」

「子供も2人、持ち家だし、転職して万が一失敗したらどうしよう。」

「どれだけやっても終わらないこの作業、いつまで続ければいいの?」

このような悩みを抱えたまま働いている人は多いのではないでしょか。

私がWebライター×ブログを始めた理由は、現在に至るまで仕事や環境を変え続け、最終的に無職となったためです。

どうも、こんにちは。転職したら無職になったひろです。

現在は33歳のフリーランスのWebライター×ブログでの活動をしています。

今回は、このブログ『HIRO B-ROAD(ひろぶろーど)』の運営者である、ひろの半生を振り返りつつ、Webライター×ブログを始めた経緯や今後の展望などを書きました。

概要だけ、という方は目次だけ見て気になったところだけでも見ていただければ幸いです。

1.ひろとはどんな人間?

あらためまして、Webライター×ブロガーのひろです。

自由と仲間を大切にする、ぎりぎり昭和生まれの33歳、妻と子2人で暮らしています。

お金の自由と働き方の自由、働く仲間の自由を大切に。

そして、『個人として自由に生きる』をモットーに活動しています。

趣味

  • ゲーム(Fortnite,Apex,MonsterHunter etc...)
  • スマホゲーム(パズドラ、モンスト、転スラ、コードギアスなど)
  • アニメ鑑賞(鬼滅の刃、ワンピース、無職転生など)
  • 海外ドラマ鑑賞(メンタリスト、スーツ、クリミナル・マインドなど)
  • 制作(UVレジン)
  • ガーデニング(観葉植物、野菜など)
  • 家事(専業主夫)
  • テニス
  • ボルダリング(やってみたいこと)
  • カフェ巡り

熱中できる趣味を探しているので、面白そうな活動していたら声掛けさせていただきます。

好きなもの

  • 家族
  • 仲間とゲーム
  • 家で家族と過ごす休日
  • コーヒー(昔、スターバックスでバイトしてました。)
  • 雪が降る中で飲む、あつあつのホワイトモカ(ゲレンデで飲むビールのような感覚)

コーヒーは、抽出器具から豆の産地まで、5年以上アルバイトの経験があるのでかなり詳しい自信があります。

嫌いなもの

  • 肉体労働
  • 自分の意見が言えないこと

出身地

生まれは山口、その後、広島→大阪→千葉と親の転勤で転々とし、中学校に入学するころにようやく落ち着きました。

その後、大学進学で東京都で一人暮らしを始め、最初に就職したのは大阪でした。職場は奈良でしたね。

1回目の転職で神奈川に移り住み、現在の東京都に至る状況です。

出身というと、なかなかめんどくさい経歴なので、大体西日本と東日本で半々といったところ。

なので、東日本だけではなく西日本のことは少しは分かっているつもりです。

2.ブロガーは副業、本業はWebライター

woman writing on notebook

本業はフリーランスのWebライターです。

主に、就職や転職、働き方など、仕事に関わること全般を対象にライティングをしています。

なぜブログを始めたかというと、ブログ運営をすることでビジネススキルを高められるからです。

文章を書くことで、商品に興味を持っていただき、「それがほしい」と思ってもらえるような文章を作れるようになれます。

売れる文章を書けるようになるためには、営業や広告やマーケティングなどのビジネススキルを身につける必要があるでしょう。

ブログ運営を通じて、アフィリエイトや自社商品を販売することができれば、ライティング×ブログの相乗効果で、さらに多くのお金を稼ぐとことができます。

ブログの運営で、自分の叶えたい未来を自らの手で作ることも夢ではありません。

また、人生100年や個人の時代と言われているように、個人で自分のキャリアを形成していく力が今後ますます必要になってきます。

その中でも、ブログやSNSをつかった情報発信の必要性が、以前にもまして増してきていると感じる人も多いはずです。

なので、みなさんも情報発信を通じて、自らの生きていく力を向上させて自由に生きてみませんか。

3.転職したら無職になった

grayscale photography of man sitting on chair

安定している企業や公務員を経験した私が、安定とは真逆の生き方をし始めたのには理由があります。

自分の価値観が大きく変わり、安定の定義が大きく変わったからです。

安定の定義が「社会の変化に合わせて自分を変えることができ、成長できる環境にいること」に変わったことで、公務員や安定している企業に属していることに、価値を感じなくなりました。

3-1.ぱっとしなかった小中学時代

tilt shift lens photography of man standing near body of water

小学と中学では、容姿もパットせず(天パ+瓶底眼鏡では、ある意味キャラが濃いが)もちろん目立ってなにかしたいこともありませんでした。

どちらかというと、容姿のせいでいじめにあって、学校に行きたくないと思ったことが何度もありました。

天パは治らないし視力も治らないので、中学卒業まではなるべく目立たないように過ごすことが目標でした。

小中学校で唯一誇れることがあるとすれば、スポーツテストでほぼ満点だったくらいです。(笑)

3-2.地獄の浪人生活

black digital device at 0 00

高校に入学したあとコンタクトレンズなるものがあることを知り、使ってみてから世界が変わりました。

容姿にコンプレックスを抱えていた私は、髪型を変えコンタクトレンズにすることで不思議と自身を持つことができ、初めての彼女も。

高校生活に彼女もいてそれなりに楽しくやってしまっていた結果、現実を突きつけられました。

高校のテニス部では副部長をしていました。

県大会に出場できるような強い部活ではなかったため、高校3年の春には部活動が終了。

その後は、受験勉強に集中できると思い、受験勉強を開始しました。

当時付き合っていた彼女が部活の後輩だったので、受験勉強をしている私を寂しそうな目で見ていたのがすごく悲しかったです。

集中するつもりの受験勉強に没頭できず、結果は無残にも全落ち

MARCHはおろか、日東駒専にも引っかからず、親にもなにやってんだかと言われる始末となり、自己嫌悪するばかりでした。

もうどうしたらよいかわからずに、自暴自棄になっていました。

働くわけでもない、かと言って大学に通って社会人になる準備もできていない。

そんな状態になって初めて”完全無職”の状態が怖いと感じました。

このままでは、本当にニートになってしまうと思い、親に頭を下げて予備校に通う決意をしました。

そこからは、死ぬほど勉強に没頭。

朝7時には起床し、予備校がある船橋駅までは英単語をひたすら覚え、20時に帰宅するまでは予備校でみっちり勉強しました。

帰宅後も、22時くらいまでは復習する時間に当てていたので、毎日の勉強時間は15時間くらいでした。

今考えると相当ブラックな企業に勤めているような感覚でしたね。(笑)

そのかいあって都内の国公立大学や東京理科大学などの理系でも有名な大学にいくつも合格することができました。

きっかけから捉え方を変えることができたことで自分の人生の方向を劇的に変えられたと思っています。

3-3.大学・大学院生活

barista in coffee shop

大学大学院では、交通や都市計画を学んでいました。

もちろん真面目に通いましたし、専門の知識を身につけることはとても大切だと思います。

それよりも大切なものをスターバックスでのアルバイトを通じて学ぶことができました。

そこでの経験が私の人生を大きく変えたのです。

まずは、コーヒーの旨さ。

みなさん、コーヒー好きですか。

産地とか豆の種類でかなり味が変わることはご存じの方が多いと思いますが、コーヒーを飲む時間帯や気分、空気、体調など様々な要因で味覚は変化します。

その時に合わせたコーヒーを飲めれば、落ち込んだ気持ちを和らげることができたり、疲れた感じを癒やしてくれたり、楽しい雰囲気をもっと楽しくさせてくれたりとさまざまです。

コーヒーを飲むだけでこんなにも良いことがあるのだなと感動しました。

つぎに、お客様との接点の楽しさや奥深さ。

実は、私の妻はアルバイトしていたときの常連のお客様です。

そんな事言うとだいたいの人がちゃかしてきますが、事実であることに変わりはありません。

チャラいとかナンパかよとか言われますが(笑)

それくらいお客様との接点を大切にしていました。

最後に、たくさんの人との出会いです。

私のことを好意にしていただいていた常連さんはもちろん、共に働いていた上司や後輩。

たくさんの人と出会うことで私の仕事に対する視野はかなり広がったように思います。

この経験を通じ、専門の知識は活かしつつも、お客様との接点がある業種を選択した結果、鉄道会社に就職しました。

この時の就職活動の軸は、人との接点×専門性×新しさです。

3-4.社会人1年目(鉄道会社技術系総合職)

photo of train station

鉄道の技術系総合職は、はっきり言って入るのが難しい部類になります。

実際、大学からのコネクションがなければおそらく入社できませんでした。

私鉄全般も応募し、一部最終面接までは行くことができましたが、結果としてすべて落ちました

応募者1000人に対して合格者が1人の世界なので仕方がありません。

第1志望の会社にはかなり面接対策をして臨むことができたので、志望通りの会社に入社することができました。

最終面接の前日は緊張しすぎて全く寝られず、徹夜して面接に臨むことに。(笑)

なので、その時の記憶がほとんどありません。

ただ、必死に考えていった志望動機や自己PRを伝えることはできました。

事前の準備で面接はほとんど決まってしまうっていうことかもしれませんね。

入社後は、本当に軍隊にでも入ったかのような環境でした。

起床後は布団と居室を整理整頓、ラジオ体操、朝食とルーティンまで決められていました。

ちなみに、布団と居室の整理整頓ができていない場合は、A4用紙1枚の反省文です。(笑)

新入社員研修は研修所で泊まり込みでみっちり2ヶ月。

様々な講義や現場見学など鉄道事業の全体像がよくわかり、とても新鮮な気持ちになりました。

研修後は現場配属されました。

よくいえば古き良き、悪く言えば古臭い風習の現場で、ひたすら夜勤や緊急対応、肉体労働の職場です。

暑い日も寒い日も風の強い日も雨の日もどんな日でも線路の点検は行わなければなりません。

実際に自分がやってみることで、鉄道のようなインフラが社会を支えていると実感できたものです。

人の生活を豊かにする大きな影響力を持つ会社の事業に携わることにやりがいがありました。

新入社員研修の終了時の教育担当の面談で、私は衝撃を隠せませんでした。

私が入社時に志望していたのは「新規事業」です。

面接時にも新規建設事業に携わりたい、むしろそれにしか興味ないくらい言っていました。

ところが、その時に聞いたのは「人事からは新規建設の部署とは聞いていない」と言う言葉。

え、そんな事があるのか・・・とその時は思い、半信半疑でしたが、なぜか楽観的にとらえ、大丈夫だと思っていました。

人事から直接聞いたわけではないし、そもそもその事業に携わりたいから入社したんだというのがありました。

本配属が決まるのは、1年後。

その時点で、その後のキャリアが決まるとのことでした。

ついにその時が、来ました。

自分の思い描いていたキャリアには進めない事実を見事に突きつけられました。

キャリア決定後のその変更は絶対にありえないと言う話。

よくありがちなお話ではありますが、当時の私には相当ショックでした。

毎日会社に行くのが嫌で、自暴自棄になっていたこともあります。

もちろん、そのまま腐って受け身で待っていては何も変わりません。

新入社員研修での教育担当の言葉で、会社を信じられなくなった私は、仕事をしながら社内資格を6つ取得しつつも、公務員試験の受験を並行して内定を勝ち取りました。

それらを含めて壮絶な1年6ヶ月の会社員生活でした。

この時は、人との接点(より近い)×専門性×新しさで就職活動をしていました。

3-5.社会人2年目~7年(地方自治体技術系職員)

自治体では、新規建設事業に携わりたいという面接でのアピールもあってか、その部署に配属。

入社後6年の間、事業の計画から実施、完了まですべての工程に携わることができたのはよい経験でした。

新しいものづくりを通じて地域社会に貢献することにとてもやりがいを感じていました。

その6年の間、様々なことがありました。

もちろん、子供が2人生まれてパパになったことも自分の価値観に大きな影響を与えました。

仕事では、人に新しい価値を提供することの充実感を味わうことができた一方、組織のあり方や風土などに疑問を感じる機会が多々ありました。

特に、新しいことに挑戦できる環境ではない、という点が一番つらかったです。

出る杭は打たれるとはまさにこのことで、私が発案し最終的に実行した業務改善ではとことん反対されました。

それでも私がその業務改善を行ったのは、近隣住民のためや税金を節約するためであって、私利私欲のためにおこなったわけではありません。

少しでも迷惑をかけないように、少しでも安くそして早く事業が完了するように努めました。

結果として費用と時間の削減、苦情発生を抑えることに成功したのです。

この事業を通じて学んだのは、自分が顧客接点を求めていおり、顧客ファーストで考えたいと思っていることでした。

スターバックスでの経験は、社会人生活の中で活きてくることはほとんどありませんでした。

それでも、やはり人との接点を大切にして働きたい気持ちには嘘はつけません。

これを期に人×新しさ×自己成長(環境)で転職活動を開始しました。

転職活動を通じて、内省するうちに最初の就職活動の際の希望不一致が原因で転職をせざるをなかったことを思い返しました。

その結果、自分と同じ境遇の人になってほしくないと思い、転職の支援がしたいと。

転職の支援ができる企業に応募し、某人材有名企業の営業職(キャリアアドバイザー)として、転職することとなりました。

3-6.理想と現実

landscape photography of person's hand in front of sun

有名な会社で誰もが聞いたことのある企業に就職できたことはとても満足でした。

そこでの風潮はやはり、新鮮で、刺激的で、本当に多様性を重んじている環境だと感動しました。

活気があり同期のかたとも仲良くさせていただいて、切磋琢磨できる環境にいれるのだと毎日がワクワクでした。

営業という仕事もキャリアアドバイザーという仕事も初めてでしたが、仕事自体に不安や不満なく、お客様とお話しているときは本当に楽しかったです。

営業に興味をもたせてくれた”営業の魔法”という本にも、この仕事の素晴らしさが書いてあり、特に印象に残っています。

ところが、本当にこの働き方で良いのかとも考えました。

勤務時間と通勤時間が長く子育てをしている関係もあり、慢性的な睡眠不足になり体調を崩してしまったのです。

キャリアアドバイザーは、その業務の特性の関係で在宅勤務が基本的にはできません。

仕事内容が求職者の支援なので、普通の人が働かない時間に働くという特性もあります。

これが私の価値観とズレていたため、このまま続けることはできないと思い退職しました。

キャリアアドバイザーとしての仕事は本当に素晴らしいし、絶対に需要のある職業なのは間違いありません。

しかし、私の価値観の一部である『自由に生きる』ことができないのであれば本末転倒です。

3-7.無職になりました。

求職者の支援ができ、更に多くの人の役に立てる仕事はないかと模索していたときに発見したのが、Webライターでした。

私と同じような就職や転職活動で苦しむ経験をする人が1人でも少なくなればいいと思いました。

今後はWebライターとして、就職や転職の情報をたくさんの人に提供することで、求職者の支援がしたいと思うようになったのです。

キャリアアドバイザーをしていたときよりも広く、多くの人と関れる可能性に満ちていると考えました。

4.考え方を変えたら見える世界が変わった

person holding pencil near laptop computer

33歳、妻と子供2人、持ち家、ほぼ貯金なしが無職になりました。

というフレーズを聞いてきっと衝撃を受けない人はいないと思います。

フリーランスとして活動しているので、仕事がとれないときは本当にニートと変わらない状態。

はっきりいって、絶望しかありません。

その絶望状態に立った今だからこそ、

「ブログを書こう」

ライティングで飯食っていくぞ

というようなモチベーションが湧いてきているのではないでしょうか。

やろうと思えばどのタイミングでも副業としてでもライターになれたはずです。

ですが、行動できていない行動したいけどできない、とかなんだかんだ言い訳して本気でやっていなかったかなと。

本を読んで、ノウハウをかき集めて、なんとなくできそうだなとなり、現状に満足していませんか

実際に手を動かして、ものを作ってみないと現実はかわりません。

仕事を辞めると決断してから、このビジョンに行き着くまでそんなに時間はかかりませんでした。

今からなにかしようと考えている人は本当に素晴らしいと思います。

でも、きっと私のような状態にならなくてもそれはできると思います。

自分の好きな仲間と新しい環境で自由にスキルを磨くことができる今の幸せを噛み締めて、日々精進していきたいと思います。

長々と書かせていただきましたが、お読みいただき本当にありがとうございました。

5.私と同じように悩んでいる人を1人でも救いたい

5-1.当サイト(ひろぶろーど)のコンセプト

photo of bulb artwork

自由に生きる』そしてその先へ。

フリーランスになることや転職すること自体は、手段であって目的ではありません

その先に、どのような生活やキャリアを思い描くかによってその答えは異なるでしょう。

人生100年時代、楽しく過ごすに越したことはありません。

私の価値観として、場所や時間に縛られることなく自由に仕事がしたいというのがあります。

自由に働いて、自由に稼ぐ。

そして、自由に生きていく。

それを実現する実例として、見ていただく方に希望勇気を与えられたらいいな。

そんな思いがあってこのブログを開設しました。

発信している情報は、転職系ライティングに関することです。

転職系では、就職転職働き方などに関すること、ライティングでは、ライティング技術に関することを発信しています。

Web上でお仕事をする仲間を作りたいという思いもあって書いています。

一人前に稼げるようになったら、たくさんの方を支えられるようなライター&ブロガーになりたいです。

5-2.個人で自由に戦うためには

個人で人生100年時代を戦うには、次のステップで進めていくことが大切です。

  • 1つのスキルを磨く(プロフェッショナルになる)
  • 磨いたスキルでお金を稼ぐ
  • 稼いだお金を、新たな資産(コンテンツやスキル)へ投入する
  • 得た資産をもとにお金を稼ぐ
  • 1~4を繰り返す

このやり方で着実に資産を増やしていけば間違いないです。

まずは1つ目のスキルから磨いていきましょう。

私は、ライティングのスキルを身に着け、戦っていきます。

6.次に読んで欲しい記事

three men and one woman laughing during daytime

Coming soon…

7.一緒に働きませんか?

7-1.ライティングのご依頼はこちら

person in red sweater holding babys hand
https://hiro-b-road.com/writing/

7-2.ライティングをわかり易く解説

photo of library with turned on lights

Coming soon…

7-3.転職の相談&アドバイス

two men talking

転職するべきか迷っている、転職すればどういうメリットが有るかなどをお伝えできます。

お気軽にご相談ください。

※斡旋は行っておりませんので、専門のキャリアアドバイザーにご相談ください。

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